tsu-tusac’s blog

山とスキーの記録

1960 10 奥秩父縦走

秩父縦走

1960年10月12~16日

参加者      単独
10月13日
新宿発(23:55)=韮崎(4:09~7:30)=増富(8:45~9:00)~金山~富士見平~瑞牆山~富士見平~大日小屋(15:10)

前日9時半にホームに並ぶ、余り眠れず、八王子で駅弁を買う。韮崎着はまだ暗い、バスの時間まで3時間余り、待合室に座り込んで眠る。成城のWVの大群と一緒になる、20人余り。朝食として駅弁と食パン半斤、寒いので小さくなっていた。バスは件の大群のおかげですし詰め、ザックの山に乗って揺られて天井に頭をぶつけた。増富でちょっとゆっくりしていたが、WVが出ないうちにと最初に出る。まずは順調、ザックの重さも手ごろ、金山で最初の一発、腹がすいたのでコッペパンをかじる。木暮翁レリーフを見ようと思ったが動くのが面倒で行かなかった。有井館のまえを通ったが誰もいない。金山峠までほんの少し、瑞牆山荘を過ぎるあたりから足の重さも感じなくなり、富士見平で2発目を立てる。ヤッケを着こみ水筒、コッペパンを持って瑞牆に向かう。天鳥沢からの入り口にちょっと迷ってしまったが、苦も無く瑞牆の頂に立つ。余りいい感じの山ではない。八ツは上半分雲の中、金峰は見える。コッペをかじってから戻るが、例のWVは瑞牆素通り。後ろをゆっくり歩いていたが横八丁の中間あたりで追い抜き、そのまま大日小屋に出た。ちょっとあっけない。大日小屋は素晴らしくぼろい小屋だ。先に大弛から来た2人組が焚き火をしていたので、追加の薪を採ってきて飯の用意、後から来た2人組に一緒に飯をたいてもらい、豚汁もご馳走になる。さらにココアもご馳走になった。狭い小屋で焚き火がけぶって、燻製になりそうだ。早々にシュラフに潜り込む。

10月14日
起床(5:00) 発(6:30)~金峰山(8:15~8:30)~大弛(9:55~10:30)~北奥千丈(11:05)~国師岳(11:10~11:30)~昼食(11:45~12:30)~甲武信岳(17:19)~甲武信小屋(17:30)

朝は5時、小屋内一斉に起きる。すぐ火を点け飯盒をかけて飯、豚汁を作る。食欲は順調、パッキングしてトップに出る。すぐ大日岩への登り、縦八丁に、小股でゆっくり、徐々に調子を上げる。霜柱が立って木や岩には霜が付いている。大日岩で視界が開け、八ツ、南アが見えた。谷から風が吹き上げて寒い、耳が冷たいが樹林が切れるまでヤッケは待とうと歩き続ける。1回休んで樹林を抜けた。朝日がまぶしい。少し歩いてやはり寒いのでヤッケを着て軍手をはめる。岩稜の方が気持ちいい、少々緊張して歩く。千代の吹き上げを過ぎ五丈石がぐんぐん近づく。相変わらず風は強いがとりたてて危険なところもなく五丈石の根元についた。頂上では水を少し含んだだけ、五丈石に登るのは面倒でやめにした。今日は先が長いからと。展望は文句なし、最上の天気だが風が強すぎて寒い。頂上付近の水たまりは凍っていた。15分ばかり休んで出発、下り始めると暑くなってヤッケがじゃまになって途中で脱ぐ。朝日岳を過ぎ大弛までノンストップ。大弛小屋は最近修理を施されたようで、住み心地はよさそう。大日小屋とは比べものにならない。甲武信に向かうのは他に3人、みんな金峰小屋泊まりで、昨夜はずいぶん寒かったようで雪も降ったとか。お茶を飲んで出発、ゆっくり登って前国師に出て、北奥千丈を往復してくる。どうってことない頂上、奥秩父最高峰2600mというだけ。すぐ戻って国師頂上で休憩、腹がへったし、甲武信までは長い、落ち着いて行こう。休んでいたら下で声がして、人が来るなと思ったら、山岳部の浜田が飛び出してきた。嘉治も鈴川もいる。総勢8~9人、うれしくなった、一人歩きだったから知った顔がなつかしい。それでも長くはいられない、浜田と握手して別れる。彼らは大日小屋泊りだそうで、無人だと言ったら喜んでいた。さて、馬鹿尾根の始まり、大股で速く下り、先行の2人に追いつき、一緒に昼飯をする。リンゴをご馳走になる、いいのか悪いのか、こういうのは単独行の副産物かな。倒木がひどくなってきて、先行のもう1人にも追いついた。4人混成パーティーのように一緒に歩く。大クビレからちょこちょこと登り下りを繰り返す。どうも、この3人と一緒に歩いたのは間違いのようだった。というのもペースが目茶目茶で、こちらの調子が狂う。倒木にも悩まされながらとにかく歩く。甲武信のガレが近くなってきたが、時間は遅れ気味。倒木が一層ひどくなり、水師を過ぎ、甲武信の最後の登り、少々足が重い。頂上に着いたときはもう相当薄暗くなっていた。展望もそこそこに小屋に向かう。この小屋はすごく立派、雲取小屋よりは小さいがスマートだ。水は汲み置きがあるので助かる。すぐめし、また2人組と一緒の飯盒で炊いて、サラダを作り、缶詰をあけた。食後はストーブを囲んで談笑、またもやココアをご馳走になった。人は多いが広いからあまり苦にならない。山の宿としては割と遅くに就寝。

1960 09 丹沢水無川本谷

丹沢水無川本谷

1960年9月

参加者      島田富夫    伊東 毅

9月23日
新宿発(6:20)=渋沢(7:25~7:40)=大倉(7:55)~源次郎出合(9:00~9:15)~F4上(10:10~10:20)~沖源次郎出合(10:30)~金冷やし出合(10:45)~F8下(11:00~11:45)~塔ノ岳(12:45~15:30)~一本松(16:20~16:25)~大倉(17:00~17:05)=渋沢(17:15~17:23)=新宿(18:28)

6時10分新宿駅に着く、新調のチョッキ、昨晩急いで詰め込んだサブはまるで重力をうけていないようだ。島田はすでに来ていた。ホームは大分人が多く、ちょっとうんざりさせられる。電車の中も周りの女子の一団が騒がしい。渋沢からのバスは最前列に座った。バスは歩いていく人を次々に追い越していくが、ずいぶん大勢歩いている。バスから降りると行列を避けてトップに出ようと2人申し合わせたように、猛烈なピッチで飛ばす。猿渡の堰堤上の渡渉で人ごみを脱し、水無林道をぐんぐん飛ばした。平坦な道なので割と楽で1時間もかからずにカラヒゴの出合に着く。モミソ山荘があり、右岸にはモミソ沢出合の懸垂岩があり、モミソとペンキで書いてある。ここからちょっと急になるがひと汗かくと赤いバンガローの林立、仲小屋、水無山荘と色とりどりの小屋の群れを抜けると林道は尽き、源次郎の出合だ。遡行開始を前に十数人が休んだり足ごしらえをしたりしている。我々は山靴のまま遡行だが。1時間ハイスピードできたので当然立てる。島田はここまで1時間で来るとはと驚き、喜んでいた。ガムを口に含んで遡行開始、平凡な河原を岩から岩へと歩く。ちょっと足が辛くなってきた頃、F1が見える。思わず緊張、10m、下まで行くとちょっと圧倒される。先行者の登攀を見て。島田が取り付いた。いったん考えたような風をしたが、またすぐ慎重に登っていく。次は自分、ホールドが浮いているところはないが、慎重に体を上げる。2mほど登ったところでちょっと水をかぶった。終始左壁を登り、不安を感じるところもなく落ち口に立てた。またしばらく河原を進み、F2を見る。もう圧倒されるなんてこともない、島田もためらうことなく取り付いた。右壁も登れるようだがガイドブックに忠実に左にルートをとる。登り際で右足にびっしょり水を浴びた。ズボンがぐっしょり、いい気持ちではなかったが、ホールドは十分で楽に越えた。これから現れるF3の難所を思って緊張して進む。いよいよF3、今までの滝と違った感じで大石が落ち口に座り込んでいる。右壁に取り付き、2mぐらい上がり、左へバンドを伝って登り加減にへずる。それよりもなお先の大石の下へ出るバンドの前で、島田がナーゲルを効かせようと探っていたが「駄目だよ」と悲痛な面持ちを見せる。トップを交代しようと言ったが、伊東は取り付き点1mのところから島田の辿ったバンドを行かず、まっすぐ登っている岩溝を見上げる。溝は深くないがホールドは十分と見て登り始める。胸の辺りがつかえる感じで、下から島田が「登れるか?」と聞いてくる。それに答える代わりに体をずり上げると、上のバンドの縁の岩に手がかかり、一気に登りきった。次は島田、上からアドバイスしようとしたが滝の音に消されて聞こえないようだ。しかしそんな必要もなく島田は苦もなく登ってきた。ここからは広いバンドを落ち口へ辿るだけ、簡単に上に出られた。小さな滝を過ぎ、F4、この壷で右壁の取り付きに渡ろうとして苔に足をとられて危うく水の中に足を踏み込みそうになった。泡を食ってもとの岩に飛び降りたが、ここは島田は平気な顔をしている、ビブラムの弱みである。もう1回渡り直してバランスをとる。島田に続いてこの滝を登ると、すぐ上にもう1つ滝が落ちている。同じく右壁をへずるように登る。岩に慣れたのか快適である。遡行開始からほぼ1時間経過したので1本立てる。F5、F6と快適に越し、沖源次郎の出合を過ぎ、F7も不安なく過ぎ、ちょっと長い河原歩きの末に大滝を見出す。何かしら知れぬ嬉しさがこみ上げ、怖いものを見る胸躍る思いでひとりでに足が速くなる。滝の直下にザックを下ろして滝を眺め渡す。滝の下の岩には登攀禁止と書いてある。20mの滝はさすがに壮絶だ、水は落ち口から中段あたりまでダイレクトに落ち、明らかに落ち口の下はハングである。この正面を登ることは絶望的に見えた。捲き道は左、右いずれからもついている。しかし、左壁のいわゆるチムニーに達する壁には望みがありそうなので、右手の捲き道から滝の中段ぐらいの高さに登って壁を眺めて見た。右から水の裏を通ってから例のチムニーへ登っていくバンドが印象的、しかしこのバンドを辿るのは無理のようだ。水をかぶらなければならないし、バンドそのものが外傾している。右の方にもちょっとしたバンドがあるがそこはなおさら無理である。結局左の壁をチムニーまで登る以外にないが、ルートを観察した結果、登攀可能と判断して捲き道を下りた。島田も同様、強気である。ひとまず昼飯、腹ごしらえしてから滝の基部に立った。大分ガスが出ていたが登りだす頃には日も射してきた。まず島田が取り付く、がこの岩壁基部はスタンスが無く、岩が脆く体が上がらない。しばらく足を引っ掛けようとしていたがあきらめてトップ交代する。伊東もここではちょっと戸惑ったが不安定な岩になるべき体重を掛けないように足を乗せる、と言うより引っ掛ける。壁を押すような感じで踏ん張って体を持ち上げると、うまく上の大きなスタンスに立てた。そこから1歩上がり、右へ戻り気味のトラバースで例のバンドに出ようと思ったが、そこへ行くためのホールドが脆く、手で引っぱってみたらグラリときたのでこれは駄目。仕方なく一歩戻り、今度は左にトラバース、砂がついて余りいいスタンスではないが、そこを越してちょっと上がると、大分楽になって十分休めるスタンスがあった。テラスというほどではない、ここで島田を待った。下では後続パーティーが見上げているが、ここまで来れば後は楽である。島田はカメラを出して写真を撮っている。一息ついてまた登るが、もう傾斜を持ち、やすやすとチムニーに入った。チムニーは大分幅が広い、わけなく抜けて下からの捲き道と一緒になり、落ち口に立つ。見下ろすと大分高い、しかし別に恐怖感はなかった。登っている時も下を見て怖くなるなんてこともなかった。岩に慣れてきたからだろうか、完全な直登というわけにはいかないだろうが、「一応の直登ルート」を征服した満足感が湧きあがって顔がほころぶ。続いて最後の涸滝に着く。涸滝とは言え水が落ちている、15mほどか、しかし大滝を登った気持ちがこの滝を軽く突破した。右壁を登り、左にトラバースするところで水を浴びた。そこを少し登って、また右にトラバースするところで島田が写真を撮る。余裕たっぷりとなってきた、上に出てしばらく行くと水が切れる。わらじの残骸が嫌な感じだ。最後のガレも意外に短く、草付が現れたかと思ったら、表尾根の一角だった。塔へは目と鼻の先、さすがに人が多い、塔に着くといっそうひどい。予定より大分早く尊仏山荘に入り、近藤君を待つには時間がありすぎるので島田は鍋割を下りてみようと言ったが、この時ちょうど腹が痛くなって気が進まない。島田には悪かったが腹の痛みは何かする気力が湧いてこない。山荘は込んでいた、昼寝をするでもなく座って待っていたが近藤君はなかなかやって来ない。3時半まで待ってついに会えず、残念だったが下ることにする。大倉尾根、腹の痛みも収まって、自然と足が速くなる。2人、3人と抜いていく、ここでも人の行列である。一本松で立て、さらに下り、出発点に戻ってバスで渋沢へ。電車に乗ると、言い知れぬ充足感に満たされる、全滝直登、完全遡行、来てよかった。

 

1960 08 南ア 甲斐駒・仙丈

南ア 甲斐駒・仙丈

1960年8月

参加者       丸尾寛治     伊東 毅

8月21日
新宿発(0:10)=韮崎(4:31~4:34)=駒ケ岳神社(5:33~6:15)~かゆ餅岩(9:00~9:35)~昼食(10:50~12:00)~刀利天(12:40~12:50)~五合目屏風小屋(13:30~14:05)~七合目山の家(15:15)

前日8時ちょっと前に新宿駅に、台風の影響かまだ10人ほどしか並んでいない。じきに今回の相棒、丸尾がやってきた。やつのザックは尺6ぐらいか、ずいぶん小さい、それに形がおかしい。直してやろうとザックの紐をといたが、なんと丸尾のやつ、重いものを下に軽いものを上に詰めている。シュラフだけは電話で教えておいたから一番下に入っていたが、これでは仕方がない、パッキングのし直しだ。細かいものはこちらが引き受けていたのでよかったが、これでは先が思いやられる。汽車はガラガラ、1両に10人ほどしかいない。これはいいやと座席のシートを外して通路に2枚敷いて即席ベッドを作る。車掌に怒られるかと思ったが、何と言うか来るまで待とうと横になって寝ていたところ、発車してすぐ改札に来た。びきびくしながら狸寝入りをしていたら、「後で片付けといてくださいよ」ですんだ。やった、安心してぐっすり眠り、甲府で目が醒めた。停車中にホームで顔を洗う、いい天気で、暗いけど茅ヶ岳が黒く見える。台風が来るということだったが、予報が外れてくれた。韮崎で下りるとバスが待っていた、23:55発の人たちもここで一緒になり、乗ったらすぐ発車。去年の台風で荒らされてひどい道でものすごく揺れる。乗客は全て駒の登山者で10人ぐらい。空が白んで八ッがよく見え、駒・鳳凰も見え出す。駒ケ岳神社で朝飯、おにぎり3個半、丸尾は弁当、ゆっくりキジ打って最後に出発。駒ケ岳神社に参拝して登山道に入る。尾白川を渡ってすぐ急坂が始まる。普通のピッチだが最初から急登なので暑くなってくる。先行パーティーに追いつき、尾白川渓谷道を分け、ひとしきり急登が続く。この笹平の登りは大したことはないだろうと思っていたので余計辛い登りだった。2ピッチ半でかゆ餅岩という水場に到着、冷たい水に生き返る思い。このあたりからようやく調子が出てくる。丸尾は体力がある、なかなか強い。しばらく行くと刃渡りなるところに出た。大した岩場じゃないが鎖がついていて丸尾はしきりに怖がっている。台風で山肌が剥かれたように荒れている、岩の上にあった木や土が流されて谷に落ちてしまったという話だ。信仰の山らしく石碑だの刀などあちこちに置かれている。黒戸山を捲いて5合目の鞍部、先にある小屋でひと息入れて出発。すぐ梯子登りが始まる、先日の朝日新聞にこの岩場のことが出ていてスリルが味わえると書いてあったので期待していたのだが、梯子ばかり、木が多くて暗くスリルなんてひとかけらもない。八ッの方がよっぽどいい、ややがっかり。岩登りならぬ梯子登りの連続で何と言うこともなく七合目に到着、第一山の家に入る。すぐ飯の仕度、水場は小屋の前だ、アルコールバーナーでカレーを作る。ニンジンが固かったが割りに美味い、飯もうまく炊けた。食べたら明日の仕度をして寝る、毛布をふんだんに使ってシュラフは出さなかった。ぐっすり眠れた。

行程図
8月22日
起床(1:00) 出発(4:35)~八合目小屋(5:15~5:25)~駒ケ岳頂上(6:30~7:10)~仙水峠(9:40~11:10)~北沢河原(11:45~12:15)~長衛小屋(12:45)

1時に目が醒めた、早すぎると思ったがまた眠るのも何だからと起きだしてしまう。他の連中はもちろん白河夜船、空は満天の星、ものすごい数で星座が見分けにくいぐらいだ。そんなに寒くなく気持ちがいいくらい、火を燃やして飯盒をぶら下げる。誰も気がつかず、ゆっくりやる。味噌汁もバーナーで作る。このバーナーが意外に火力が強いのでびっくりした。飯が出来たので丸尾を起こし、ローソクの灯りで朝食。食器洗いは手が冷たかった。パッキングしていると、ようやく小屋の人が起きてきた。キジ打ちにローソクを持って行ったが風が強く役に立たなかった。丸尾は変わっていてまるでキジを打たない、それで平気な顔をしている。ついに今山行中、一度もキジを打たなかったようで不思議なやつだ。ほの明るくなったところで出発、しばらく樹林帯、ご来迎を拝んでまた登る。雲海が素晴らしい、八ッ、金峰、北ア、妙高あたりが浮かんでいる。富士と鳳凰が重なって見えている。ハイマツ帯に出ると涼しい風があたる。八合目の石鳥居で一発、北岳が素晴らしい、バットレスの半分が見える。北岳の手前に早川尾根が長々と延びている。鳳凰まではずいぶん遠い。写真を撮って出発、岩の間のいい道の登り、予定タイム通り駒の頂上に着いた。展望は最高だがパノラマ写真を撮ろうとしたらフィルムが切れてしまった、残念。南アの山波は豪快だ、ここから仙水峠まで1000メートルの急降下、はるか下に峠が見えている。最初しばらくは岩の下り、御影石でもろく、浮石多くいやなところだ。岩稜をまっすぐ下りて駒津峰とのコル、右側が切れている。暑くなってきて、仙水峠へ下れば下るほど、正面の栗沢ノ頭が高くなり、登りがきつそうだ。長い下り、駒ははるか上になった。一気に下ろうと走ったのが悪かったのか足が痛くなってきた。なかなか下りつかない、おまけに早起きのせいで眠くなってくる。道も悪いのでうんざりしてしまい、ここで早川尾根はあきらめて北沢へ下りることにした。予定変更だが仕方がない。仙水峠で昼食、峠は石がゴロゴロしている。北沢へゴーロから樹林帯に入ったところでリスがいた。前方でガサガサするので見るとピョンピョン小さなやつが飛び出して行った。自然の中でリスに会ったのは初めてだった。ほどなく北沢の河原に出る、ジュースが美味い。荒れた河原をケルンに導かれて下るとつぶれた北沢小屋がある。中を覗くと十分宿泊出来るようだ。すぐに長衛小屋に着く、こちらはずいぶん大きい小屋で犬がいた。入ってごろり、横になって休む。聞いたら仙丈まで往復5~6時間とのことなので明日は仙丈に登ることにする。ゆっくり飯を作り、ゆっくり食べる。コーンスープを入れた野菜スープが美味かった。明日の飯も作っておいた。明日は往復なので丸尾のザックをサブザックにして二人分の荷物をまとめて入れて交互にかつぐことにする。今夜はシュラフで眠る、寝具付は250円もするので。

   甲斐駒から北岳  仙水峠から
8月23日
起床(4:30) 長衛小屋発(5:50)~北沢峠(6:00)~三合目(6:30~6:40)~五合目分岐点(7:03)~藪沢小屋(7:13~7:25)~カール底仙丈小屋下(7:55~8:10)~仙丈岳(8:30~8:40)~五合目(10:25~10:40)~長衛小屋(11:20~12:30)~赤河原(13:25~13:35)~戸台川河原休憩3回~戸台(17:10~17:35)=伊那北(19:05~19:12)=辰野(19:45~22:02)=新宿(4:30)

起きるのが少々遅かった。すぐお湯を沸かし、お茶漬けのりで朝食、予定より50分遅れて出発。ザックはまず丸尾が背負う。北沢峠まではすぐ、左に折れ急坂だが空身だから楽、樹林帯をジグザグの登り、三合目で一発、ザックを交代、急坂を登り、五合目分岐点から藪沢コースに入る。山腹を捲く平らな道で、途中いくつも水が落ちているところがある。藪沢小屋で一発、今度は沢に沿ってしばらく行き、途中から沢の右側の山肌に取り付く。暑くなってくる中、潅木帯を抜けてハイマツの稜線に出る。ここは涼しい、仙丈のカールが良く見える、山頂で人影が動いているのも見える。ここからカールの底へ下りるといい水が流れているのでジュースを一杯。すぐ上に仙丈小屋、二棟あり完全な石室風だ。横を素通りして右手のザレを登り、市野瀬の分岐を見送り、稜線を辿って頂上へ。頂上は余り広くない、祠が一つある、北岳方面の眺めがいい、駒が立派に見え、鳳凰の上に富士、北岳間ノ岳、農鳥、その右に塩見、その向こうに赤石が浮かんで、手前には長々と馬鹿尾根が横たわっている。遠くに雲海に浮かぶ中央アルプス、御岳、乗鞍、北アルプスキレットの形が八ッで見たときと違って見えるのが面白い。妙高も見え、ずっと回って八ッがきれいに見える。まったくすごい眺めだ、空は真っ青だし、台風はどうしたのかと思う。記念に丸尾と二人で石を積んでケルンを作った。フランスパンを1個ずつ食べて下ることにする。カールが足下から左右に広がっている、3つか4つあるようだ。小仙丈へと岩ザレとハイマツの稜線を辿る歩きよい道。小仙丈は捲いてそこから急な下りになる。昨日で懲りたから余り飛ばすのは控えたが、それでも空身だから楽だ。大滝頭で立て、途中から右へ捲き道に入るとすぐ沢音が聞こえるようになった。この捲き道の途中でハツタケと思われる群落を発見したが、確信が持てないので採集はやめておいたが、この山はきのこが多いようだ。捲き道途中で台風で崩れたガレのようなところを下って、北沢峠からの道に出ると長衛小屋はすぐだった。小屋に入って昼飯、3日間2人でマーガリン4分の3ポンド食べたのは我ながらびっくり。パッキングして出発、北沢峠を越えて戸台へ向かう、急な下りだが今日はそれほど辛くない。赤河原で立てて今度は河原歩き、台風の猛威で川幅が広くなって石がゴロゴロして歩きにくい。河原の一段上には道があるのだがずたずたに切れていて使えない。ケルンとペンキの矢印を目当てに歩くのだがそれも途絶えがちで難渋、それも長くあきあきしてくる。地形が変貌して谷底では自位置の確認が出来ない、目標になるものがないので困った。台風の被害がこれほどひどいとは思わなかった。だんだん足ががくがく言い出して止まらなくなってしまう。そうこうしているうちに右岸に渡るべきところを通り過ぎてしまい、どうにも渡れなくなってしまった。ここまで来ると流れは強く、靴を脱いで渡渉も大変なのでそのまま左岸を歩く。右岸にはどうやら道がついているようでまったく不覚であった。やっとの思いで部落が見えるところまで来て、これで渡るところがなければ、いよいよ渡渉かと心配したが運良く丸木橋がかかっていた。渡って部落の方へ急ぐと16時55分のバスが走っていくのが見えた。腹が空いてフラフラ、バス停に売店があることを祈って右手の土手を登り、新築のきれいな小学校の脇を通り、小黒川橋を渡って、やっとの思いで戸台バス停留所に辿り着いた。目当ての売店に飛び込んでパン、クラッカー、牛乳と続けざまに腹に入れる。バスはもう来て待っている。さらにサイダーを飲んでバスに乗り込んだ。先ほどの売店の売り子も店を閉じて乗ってきた。地元の人たちばかりでにぎやかだ。三峰川に沿って走るいい道で窓の外にはいくつものダム、人工湖が出来ていて、なかなかいい眺めだ。高遠で乗り換え、今度は大型のスマートなバス、都バスなどより立派だ。伊那北飯田線、面白い構造の車両だった。辰野駅で接続が悪く2時間半も待たされ、夜行列車は込んでいた。新宿早朝着、疲れた。

 

1960 07 八ヶ岳全山縦走

八ヶ岳全山縦走

1960年7月

参加者      島田富夫    狩谷 求    平塚 尚     伊東 毅

7月17日
新宿発(0:10)=小淵沢(5:50~6:05)~小海線踏切(6:30)~棒道(7:45~8:25)~見返坂(9:40~9:55)~延命水(10:10~10:20)~見晴台(11:40~13:05)~屏風岩(13:30)~雲海(13:50~13:55)~押出川(14:40~15:30)~青年小屋(17:35)

  スケッチブック  1日目行程


前日午後3時ごろから駅で並ぶ、前には2人だけ。座り込んで待っていると通行人にじろじろ見られて気分が悪い。間もなくみんなやってきてほっとした。みんな相当にでかいザックだ、背負えるのかな。当然座席はゆうゆう確保、車中騒々しい。小淵沢で下車、もう明るくなっている。とぼとぼと歩き出し、1回休んで棒道着、朝飯を食べたがうまくない。ザックは重くピッチはゆっくり、トラック道から草原の中の登り、風がなく暑い。去年とは時間が違うので感じが違うがやがて延命水の水場到着。冷たくていい水だが、そばでキャンプしていた連中が水の中に煤を入れて感じが悪い。一息入れて急坂を登る、苦しい登り、「ガンバ!」の声をかけて登る。展望台(見晴台)で昼食、おにぎりはまずいのでフランスパンをかじった。紅茶がうまい。島田の米にラジウスの石油が沁みこんで使い物にならなくなったので、ここで捨てて行く。午後もみな不調、荷物が重いからしかたがない。雲海と言ってもガスばかり、編笠が顔を見せたり隠れたりしている。このあたり石楠花がきれいに咲いていた。何とか押出川、青年小屋への捲き道分岐に到着、ここで平塚が水を発見。去年は気がつかなかったのか、涸れていたのか。みんな元気がないので編笠は登らず捲き道を行く。この捲き道があまりいい道ではなかった。途中でみんなと別れて先行し、青年小屋に到着、キャンプの心得を聞いてキャンプサイトを見に行く。少し湿っている、国有林だからそこらの木は燃やしちゃいけませんとのこと。水場に行く途中にキャンプした跡があり、指定地以外でキャンプしないで下さいとの立て札があった。間もなくみんなも到着して設営、うまく張れた。次はかまどを作って飯の仕度、大分暗くなってきた。火付けがうまくない、それでも飯は炊けたが、ラジウスの調子が悪く、いろいろやってるうちにコッフェルをひっくり返して、折角の野菜スープがオジャンになってしまった。ポタージュだけで我慢、真っ暗になってテントの中で食事、食器洗いは暗いのでやめ、寝ることにする。毛布を出して、いらないものはザックに放り込む、背中が固いが何とか寝てしまった。

7月18日
起床(6:00) 青年小屋コル発(9:10)~ノロシバ(9:50~10:00)~権現岳(11:00~11:20)~旭岳(11:55~12:15)~ツルネ(12:45~12:55)~キレット小屋(14:15~14:40)~赤岳南峰(17:50)~山頂小屋(18:10)

      2日目行程     シャクナゲ

寒くて目が醒める、2時ごろだ。狩谷がシュラフで3人が毛布だが、両側から毛布を持っていかれて寒くてたまらない。ズボン下もないし、寒くてふるえていたが耐え切れず、一番に起き出して薪集めに行く。狩谷がゴソゴソ起きてきて知らない間に食器洗いに行った。あとの2人はゆっくり、他のキャンプはみんな起きていて「オハヨウゴザイマス」に加えて「マダネテルンデスカ」と言われた。飯を炊いて味噌汁を作ろうとしたが平塚が味噌を忘れてきたので小屋に分けてもらった。案外親切だった。そんなことで手間取って出発は9時過ぎ、ガスが流れる中、倒木の多い林を抜けると稜線に出る。ノロシバ、編笠が見え、ギボシにかかっているガスが時折晴れる。浮石だらけのガラガラ道を通ってギボシを捲いて権現にかかる。この辺から暑くなってきた。権現は縦走路にザックを置いて岩峰を往復、ギボシとどちらが高いのかな。権現の下りは短いがいやなところだった。旭岳付近では赤岳は雲の中、阿弥陀は時々見える、ツルネまで来ると赤岳が姿を現す。キレット小屋に下りてお茶、フランスパンがかびていたがそのまま食べてしまった。島田と平塚が水汲みに行ってくれる。ここからは400mの登り、道はガレの中を行く、天狗尾根の岩峰がニョキニョキと面白い。大分薄暮れてきて、小さな虫がたくさん飛び出す。うるさいだけなら我慢できるが、何十匹とまつわりついて、ところかまわず食いついてくるので困る。空を見上げると虫で灰色に見えるし、前を歩くズボンの尻にも数十匹がとまっている。耳の穴だの首の中、口の中から鼻の穴、目玉にまで飛び込んでくるから始末が悪い。虫に気を取られて足をふみはずしそうになったり、まさに助けて!である。やっとの思いで山頂到着、コース最大の登りも虫にやられて、そちらばかりに気をとられて逆に辛さを感じなかったようだ。とにかく着いた、今日は小屋泊まりとする。気楽でいいが賄いの米を1人2合とられた。食後外へ出てみたら大分晴れてきた。まだガスはあるけど、それがかえって幻想的な雰囲気、黒々とした山波が水墨画のようだった。2階に上がって寝る、布団があるので暖かい、今日は十分眠れた。


7月19日
起床(4:05) 出発(6:15)~石室コル(6:35)~横岳(7:50~8:15)~硫黄岳(9:10~9:25)~夏沢峠(9:55~10:45)~根石岳(11:25~11:35)~東天狗(11:55~12:05)~中山峠(14:15~14:30)~中山(14:55)~高見石小屋(16:05)~白駒ヒュッテ(16:40)~キャンプ指定地(16:55)

      3日目行程       大同心

朝は周りが騒がしくて目が醒めた。大分空が白んでいるので4人でご来迎を拝もうと外に出る。晴れて遠くまで良く見える。ここは日本の真ん中だから晴れていさえすれば何でも見えるというわけだ。そのうち太陽が昇る、山でご来迎を見るのは初めてだったが、期待したほどきれいではなかった。3日目にしてこんな天気になった、やっぱり晴れていたほうがいい。小屋に入って飯を食ってキジ打って出発。新しい靴でかかとが靴擦れ、大事に歩くしかない。石室まではジグザグのザレ道、横岳は岩峰をどんどん捲いて主峰を目指し、主峰だけはてっぺんまで登る。ここまでノンストップ、みんな調子がいいようだ。ジュースを飲んで大ダルミまでザレ道の下り、大同心がすごい迫力だ。硫黄の石室は素通り、天然記念物キバナシャクナゲの立て札をを見ながら硫黄の頂上、火口壁の縁に立つ。いい天気だ、夏沢峠に下りて山彦荘に入り、水場を聞いて水汲みに行ったが遠かった。ここからは北八ツ、ここまでは去年歩いたがこの先は初めて。樹林帯を抜けてミカブリに出るがあまり頂きらしくない。ここからまた砂礫の道になり、天狗が目の前に見え、その手前にある岩峰が根石岳のようだ。このあたりはまだ南八ツ的で日陰がないので照らされて暑い。東天狗の頂上は狭い、中学生の遠足と見られる大群がやって来たので、ちょっと下がったところの岩峰に避難したが、大勢なのでやかましいこと。八ヶ岳に遠足とは、こちらはまじめに登っているのに、ちょっとがっくりさせられる。中山峠までは岩がゴロゴロしていて歩きにくい、その上暑いので意外に苦しめられた。峠から中山までは林の中のゆるい登り、中山は山頂らしい感じがしない、何が何だか分らないうちに着いて、ここからの下りがまた単調で長い。やっとの思いで高見石の小屋に着いた。わらびの漬物を出してくれた。そこからまた同じような道を白駒池へ、水はあまりきれいじゃない。白駒ヒュッテによって話を聞く、幕営料1人20円。キャンプ指定地まで池を3分の1周、先着キャンパーが大声を出してるので、これは今晩は悩まされそうだ。テント場は昨日あたりも張ったあとがある、残っているモミの葉が新しい。そこにさらに葉を追加してクッションを良くする。かまど作り、薪集め、炊事、そのうちに日が暮れてくる。今日は足が靴擦れで痛いので何をするのも辛く、時間がかかる。飯もあまりのどを通らない。食器洗いは明日にしてテントに入った。案の定、となりのキャンプが大きい声を上げているので、こちらも対抗して声を張り上げて歌を歌った。今日は良く眠れそうだ。

7月20日

起床(6:00) 出発(9:00)~麦草峠(9:30~9:45)~大石峠(10:00)~茶臼山(10:55~10:15)~縞枯山(11:35~11:45)~縞枯・雨池山のコル((12:05~13:15)~雨池山(13:30)~三ッ岳Ⅰ峰(13:50~14:00)~横岳ヒュッテ(15:00~15:40)~横岳北峰(15:55~16:10)~亀甲池(16:48~17:05)~双子池ヒュッテ(17:35)

        4日目行程      道標


目が醒めたら大分明るくなっている。時計を見て「おい、5時だぞ起きようぜ!」と声かけて起きて、もう一度時計を見たらなんと6時だった。あわてて炊事、時間がないのでラーメン、能書き通りに作ったが美味くない、食わなきゃいけないので流し込んだがこれはうまくなかった。池の水をそのまま飲むのはまずそうなので沸かしてポリタンに入れたらフニャフニャになってしまった。遅くなって一番最後に出発、麦草峠までは登りとも言えない楽な道で、明るい草原の真ん中に小屋があった。ここで水を分けてもらった、井戸水だそうだ。小屋のおばさんが茶臼の登りの楽な道を教えてくれたが、よく分らなかった。茶臼までは本日最大の登り、平塚が少々参っていたが、こちらはそれほどではなかった。茶臼を下って縞枯山の登り、縞枯の頂上から南八ツがよく見えた。雨池山の鞍部で昼食、黒い大きなパンがうまい、ハムがたくさんあってゲップが出たが、おかげで元気回復。雨池山をひと登り、下って三ツ岳へ急な登り、ところどころに梯子がかっている。トリコニーを引っ掛けて登ったが大したことはなかった。石楠花の木が多い、花は咲いていない、三ツ岳は岩がゴロゴロ、乾徳山みたいだ。三つほど岩峰を過ぎてちょっと下り、ほどなく横岳ヒュッテ。麦茶を出してくれた。今日はここで泊ろうかと思ったが亀甲池回りなら楽に双子池に入れると言うので、さらに進むことにする。横岳までひと登り、頂上は二つ、南八ツがよく見える、蓼科山も目の前、大河原の斜面がきれいだ。亀甲池へは急降下、いい道だが結構長い。池が下の方に見えてから15分ぐらい下って池畔に着いた。水は少ないが池の底が亀の甲羅のようになっていて面白い。水は白駒池よりもきれいだ。ここから郡界尾根を越して双子池へ30分、雌池のほとりに着いて対岸まで3分の2周して雄池との間にあるヒュッテに入った。テントを張っている人もいたが今日は小屋泊まりとする。雌池の水は洗い物、雄池の水が飲料水だって、ぜいたくなものだ。すぐ夕食、なす炒め、シチューその他、シチューはベーコンがいかれてたのか味が悪く飲めなかった。この小屋はセルフサービスで感じがいい、先ほどまで近くで騒いでいたのが静かになったのでどこへ行ったのかと思ったらテントの方へ行ったらしい。助かった、我々だけで小屋の半分を占領、布団も自分達で何枚使っても勝手、気楽で良い。しばらく1人で山日記など出して読んでいると、島田と平塚は歌を歌ったりしていた。

7月21日
起床(5:10) 出発(8:15)~大河原峠(9:00~9:10)~将軍平(10:05~10:25)~蓼科山(11:00~11:30)~将軍平(11:50)~馬返し(12:40~12:45)~桐陰寮(14:15~15:00)~蓼科牧場(15:20)

        5日目行程


ちょっと寒かったけどよく眠れた。飯がすぐ出来てきた、顔を洗っておかずを作って、食べてキジ打って出発、これで200円は安い、池も全コース中一番良かった。小屋の裏手からすぐ登り、笹の原で汗をかいて暑いがすぐ頂上に出ると風通しがよく涼しい。休まずに大河原へ、小屋の前でひと休みして蓼科山へ最後の登り。汗が出る、しばらくすると道は平坦な道になるが倒木が多い。将軍平では小屋を作っているのか、あばら家のような小屋があり、3~4人の人がいて何となく感じが良くない。ザックを置いて頂上に登る、いい天気なので周りが良く見える。富士山だけ隠れて見えないが、北アは赤岳の時よりもはっきり見える。白樺湖や寮が見えないかとお鉢回りをしたが寮は確認できなかった。将軍平に下りてザックを背負うとやっぱり重いが速いピッチで下る。分岐点でひと休みして番小屋の方に下りた。小松川の寮を過ぎたあたりで島田が飯にしようと言ったが水もないので先まで進み、番小屋でせんぎに下りて顔を洗い、水を飲んだ。バス通りに出て寮に入ったがいやに静かだ。主寮に行ったら田口さんがいて、みんな中遠足に行ってるのだそうだ。狩谷と二人はもう2~3日残り、島田と平塚は帰るのでキャンプ道具などをこちらに収容する。間もなく担任のギロチンが帰ってきたのでザックを担いで牧場のキャンプ地に移動する。牧場にはギロが話してくれ、牧場の人が案内してくれた。木立の中、誰もいない静かないいところだ。水は近いし薪も多い。すぐ設営し、ザックの中をかき回し昼飯の用意をする。バーナーで紅茶を沸かし、黒いパン、目良のサポートのおかげで食料は豊富だ。食後かかとの靴擦れの治療に寮に行く、田口さんがやってくれた、汚い足を出して申し訳なかった。近くにいた1年生にローソクを分けてくれと言ったら寮の中を走り回って探してきてくれた、感心感心。半分ビッコをひいてキャンプに戻ると狩谷がかまどを作っていてくれた。夕飯を早めにすましてキャンプファイヤーを見に行った。見てるだけだがみんな楽しそうで少し羨ましい。帰ってからはすぐ寝た。

7月22日
蓼科定着
朝起きたのは8時ごろ、もう暖かくなっている。ゆっくり朝飯、予定もないので気楽だ。牧場のバス停に行って見ると目良がうろうろしていた。今日は寮の方が1日フリーだということで牧場で遊ぶ、昼飯にフランスパンと紅茶をご馳走する。その後寮の方へ行って目良と別れ、狩谷と2人で境川で魚をとろうと2時間ほど遊ぶ。水をせき止めてかい出して悪戦苦闘、魚なんているのかと思ったが、小さなかじかを1匹捕まえた。折りたたみのコップに入れてキャンプに持って帰った。夕食の終わる頃、今日の昼からキャンプしている2人連れが一緒にファイヤーをやりませんか、と言うのでやりましょう、やりましょうということになって、急いで後片付け。彼らが切ってくれた薪を組み上げて点火、ガソリンをぶっかけたらすごい勢いで燃え上がった。周りで歌を歌ったり、4人だけだったけど楽しかった。

                          4人だけのファイヤー


7月23日
桐陰寮発(9:41)=バス=茅野発(15:33)=新宿(20:47)

今日はいよいよ帰る、長かった。昨日の二人連れは愛知工業の生徒だそうだ、まじめでいいやつらだった。朝飯を食ってから寮に行って目良に500円借りた。桐陰寮入口からバスに乗ったが途中で狩谷とはぐれてしまい、白樺湖と寮の間を行ったり来たり、相当焦ったがやっとの思いで再会、これで随分時間をロスした。白樺湖から茅野までバス、混んでいたが座れた。駅前でそばを食べて15時33分の鈍行で帰る。腹がへるが金がないので仕方ない、カンパンをかじって飢えをしのいだ。大月で2人とも座れ、8時47分新宿着。

1960 05 丹沢主脈縦走

丹沢主脈縦走

1960年5月

参加者      単独
5月3日
新宿発(5:50)=八王子(6:45~6:56)=橋本(7:12~7:15)=中野(7:45~7:50)=鳥屋(8:20)~柏原ノ頭(9:17~9:30)~青野原分岐(9:48~9:55)~焼山(11:27~12:30)~キビガラ下(13:07~13:15)~八丁坂(13:35~13:45)~姫次(14:08~15:00)~原小屋山荘(15:10)

おふくろに間違えて1時間早く起こされたが、気づかずに出かけてしまった。どっちもどっちだ。国電で八王子まで、荷物はいやに大きい。立川でほとんど下りて後は釣りの客ぐらい。横浜線の橋本で下りると1番バスに間に合った。中野で乗り換えて30分、鳥屋で下りて歩き出す。焼山方面に行くのは他にもう1人大学生ぐらいの人がいた。平戸の辺りまで来て紛らわしい分岐点で少し迷う。暑いのでついでにちょっと休んでセーターを脱ぎ、スカーフもとる。結局真っ直ぐの道を行くと、しばらくして道標があった。調子よく歩くが暑いことこの上なし、シャツの袖をまくりあげる。正面に蛭が大きく見える。長野越路を過ぎるあたりから下山者に出会うようになる。コンチワをかわして行き過ぎる。山靴が多かったけど、中にはバッシュー、運動靴もいた。縦走路に合してから焼山まで戻る。焼山の山頂はあまりたいしたことはない。期待ほど展望はなかったし、空き缶や屑で汚れていた。それに人が多すぎる。それでも頂きの片隅に店を広げて昼食、食後ひと眠り、陽射しが強いので顔を焼こうかと思ったがまぶしすぎた。1時間ほどして出発、今日は原小屋泊りだから、ゆっくり行こうと思っても、やっぱり予定のタイムに遅れまいとピッチが上がってしまう。キビガラを捲いて水場への分岐を見送り、姫次の八丁坂にかかる。勾配は余りないが長く続くので苦しい、それに暑いのでのどがかわく。草いきれでますますひどいが、たまたま沢を登ってきた風に吹かれると生き返る心地がする。どうも余り調子がよくないようだ。姫次はなだらかな高原状の斜面に小笹が生えた気持ちの良いところで、蛭、檜洞丸が一望、大群山も大きな丸い頂を見せている。ここからは原小屋も見えるのでゆっくり休む。ひと眠りして空を見上げると少々雲が出てきたようだ。でも明日いっぱいぐらいは持ちそうだ、それに少しぐらい涼しい方がいい。原小屋山荘は縦走路に面した感じのいい小屋だ。水場が少々遠いきらいはあるが静かでいい。2階に上がって休む。大倉から来たという愉快な人と一緒になった、18歳ということで話が合った。早く着きすぎたのでヒマでしょうがない、昨日の日記でも書いて時間をつぶす。飯は小屋で炊いてくれる、飯を食って2時間ほどして寝る。ふとんは2人に1枚だが、その愉快な人が「おれはかしわがいい」と言ったのでこちらは1人でゆうゆう、8時ごろ就寝。

5月4日
起床(4:50) 山荘発(7:07)~小御岳平(7:50~8:00)~蛭ヶ岳(8:10~8:30)~不動ノ峰(9:00~9:11)~丹沢山(9:35~10:30)~塔ノ岳(11:05~12:30)~鍋割山(13:09~13:25)~後沢乗越(13:50~14:05)~ミズヒ沢河原(14::15~14:22)~二股小屋(14:42)~渋沢(17:15~17:23)=新宿(18:28)

朝4時半に目が醒める。布団の中で暖まっていたがしばらくして起きて顔を洗いに行く。冷たくて気持ちがいい。ウグイスがしきりに鳴いている。水場のそばで4~5人がキャンプしていた。飯を食って飯盒を洗いに水場に行く途中、キャラシューがキャラシューにひっかかってひっくり返ってしまった。7時過ぎ出発、2日目は好調のジンクス通り、一気に小御岳平まで、両側の沢から吹き上げる風が気持ち良い。蛭までかっきり10分、臼岳方面のガレがすごい、玄倉の谷が良く見える。蛭の頂上は広いがやはり人が多い、しかし展望は一番良かった。姫次、大群、加入道、桧洞、塔、丹沢と丹沢の峰々が一望出来る。まだ朝早いので休まずに出る。急坂を一気に下ると鬼ヶ岩とおぼしきやせた鞍部からの登りにかかる。小笹なので眺めがいい。不動ノ峰は静かな頂きでここからの下りがまた気持ちがいいところ、刈安と言うのだろうか小笹の斜面が伸び伸びしていて寝転びたくなる。丹沢の登りは急でつるべ落としと言われているが、今日は好調なので苦もなく山頂に立つ。ここでみかんの缶詰を開ける、いつ食べてもうまい。御料局の測量のやぐらが残っている。頑丈に出来ているので上によじ登って四囲の眺めをものにした。山頂の原っぱでひと眠りして塔に向かう、深山山荘のおやじさんが勧めるので鍋割に予定変更した。竜が馬場もなだらかな小笹の原で気持ちがいい、塔まで来ると見覚えのある山々が見える。表尾根、大山、大倉尾根、風が強いので尊仏山荘に避難して昼食、お茶がうまい。1時間昼寝、キャラシューを締めなおして出発、金冷しの頭で鍋割山稜の方へ別れる。玄倉の谷が眼下に見え、主脈の山々も一望、あれを越えてきたのかと感慨。鍋割を下る人は少ない、鍋割山で一発、鍋割峠への道が分岐している。四十八瀬川の勘七・本谷・ミズヒの沢がよく見える。ここから後沢乗越までは急降下、完全に走ってしまった。後沢乗越は別名金冷し、今日は金冷しを2度通ることになるが、その名の通り右側はすっぱり切れていて道幅は1尺ばかり、一歩誤れば寄沢へ転落してしまう。ここで寄沢へ入ったまま戻らないという人を探しに来ている人たちに会ったが何となくいい気持ちがしない。乗越から沢に沿って下り、ミズヒの沢の河原でひと休み、頭を洗ってさっぱりした。二股小屋を過ぎトラック道を歩く。ここまで来て方が痛くなりだした。新緑が目に映える、特に柏の葉がきれいだった。ゆっくり山を顧みながら畑の中を渋沢まで、まずは何事もなくいい山行だった。

 

1960 05 三ツ峠

三ツ峠

1960年5月

参加者        狩谷 求     目良誠二郎     伊東 毅
5月30日~31日
新宿発(23:55)=大月(2:02~2:42)=三ツ峠口(3:16)~だるま石(4:47~5:00)~白雲荘(6:35~10:00)~三ツ峠山頂(10:10~10:45)~木無山(11:10~11:40)~母の白滝(12:40~13:00)~河口湖駅(14:10~14:23)~大月(15:35)~新宿(17:21)

夜10時半に家を出る。駅にはみんな来ていた。島田が見送りに来てくれた。病み上がりで今回は残念、しきりに行きたがっていた。狩谷は久しぶり、目良は初めて、兄貴が山へ行くそうで一応さまになっている。しかし彼の荷物はほとんど食料とあるから愉快、楽しみだ。11時半ごろ島田が帰り、23時55分出発、あまり眠れない。大月で下車、6月とは言え涼しい、空はどんよりと曇っている。富士山麓電鉄の電車はすでに入っていた。ゆうゆう座れ、横になったらそのまま昏睡、三ツ峠の駅で起こされるまで気持ちよく眠れた。駅を下りたのは我々を含め15~6人、暗い道を特有の匂いにつられて歩き出す。30分ばかり歩いたところで狩谷が時計がないことに気がつく。さあ大変、ザックをかき回してもない、仕方なく一発立てて、狩谷は探しに戻る。暗い中ただ待ってるのも何だからおにぎりを引っ張り出す。そのうち雨が降り出した。こちらは傘を出したが狩谷が可哀そうだ。いっしょに行ってやれば良かったけれど、やはり自分のことを考えると、それに落としたらしいあたりまでの距離を考えると(その時はすごく遠く感じた)どうも行く気がくじけてしまった。それでも狩谷は意外に早く帰ってきた。時計を持って、よく探したものだ。待っている間に空が少し明るくなってきた、やっぱり曇っている。余り調子の良くない足を励ましながら歩く、朝露が汗の吹き出た頬に冷たい。だるま石小屋で一発、真っ黒なお茶を出してくれた。主人はだるま石小屋の主にふさわしい容貌だが親切だった。この裏から急登が始まるが、相当ピッチが速い。時計騒ぎで最後尾になったのに、ここの登りで先頭に出てしまった。胸突きというほどでもないが、同じ調子の坂がずっと続くから汗が激しく出る。目良はここで相当参っていたようだが、元々足は弱い方じゃないから意外に元気だ。狩谷が眠気に襲われて途中の休憩で昏睡してしまう。雨はまた降ってきている、ガスが出て谷も何も見えない、時々電車の音が聞こえてくる。パイカンをあけ、一口ようかんを食べて元気をつける。それから間もなく八十八大師、そして白雲荘、ここで休む。牛乳が美味かった。こたつに入って休んでいるといつの間にか眠ってしまう。起きてから朝飯を食べ、出発。休憩料70円は高いな。ここからしばらくで屏風岩の根元に着く、予想していたよりはるかに大きい、ガスがまいて上の方は見えない。本当に九十九折りの屏風である。程なく鞍部の小屋に着いたが休まず山頂に向かう。視界はきかない、時々ガスが切れて御巣鷹山、木無、御坂の山なみが見える。無線の中継所も見える。ここには三角点がない、いくら探しても見つからない、何だかおかしな気持ちで頂上を下り、富士見荘で記念のスタンプを押して木無に向かう。稜線にテントが張ってあったが水があるのかな。木無はカヤトのなだらかな頂だが、途中の大して高くない稜線上に三角点があった。そして三ツ峠山頂と書いてあったが地図とは位置が違っているようだ。霧が峰のような木無の広い山頂の一角に店を広げ、みかんの缶詰をあけ、軽い昼飯。ここからは河口湖に向かって雑木林の中を下り続ける。途中で一時雹が降ってきたがすぐまた雨に変わった。母の白滝では初め上の段だけを見てなんだ大したことないなと思って一休みした後、下り始めたら下にも滝が落ちていて、こちらの方がずっと立派な滝だった。20mくらいだろうか、幅が広いのでなかなか美しい。休んだ直後でゆっくり出来なかったが写真を撮ってまた下る。このころから雨が激しくなり最後までやまなかった。河口湖は船に乗るのは止め、湖畔を歩くことにする。初めは雨の湖畔を行くなんて、ちょっとロマンチックな気分かと思ったが連れが至って無粋ときては、雨がうらめしくなる。道は大部分舗装がなく、バス、トラックが通るたびに戦々恐々、足の裏が痛くなる頃ようやく賑やかな街に入った。駅まで街中を通り抜け、切符を買って中に入る。電車は入っていた、来る時よりずっといい電車だったが、ちょうど成城の小学生の一団と乗り合わせてしまい、やかましいこと。タイミング悪し、である。今回は天気も含め何かとついてなかった、島田に呪われたか?

 

1960 04 奥秩父縦走

秩父

1960年4月

参加者      島田富夫   平塚 尚    藤原 肇    伊東 毅
4月1日
新宿発(7:08)=立川(7:48~7:57)=氷川(9:15~9:20)=鴨沢(10:20)~堂所(12:25~12:30)~七ッ石小屋(13:25~14:40)~ブナ坂(15:10~15:15)~山荘分岐(16:00)~雲取山荘(16:40)

朝5時半に起きる。30分寝過ごしたので朝飯抜きで飛び出した。昨夜から雨が降り続いている。新宿駅に行くと島田がいた。その後2組の近藤が見送りに来た。続いて藤原が来たが平塚が来ない。とうとう予定した汽車が出てしまった。電話をかけると「かけといた目覚ましがならなかった、今出かけるところだ」なんて、しまらない話。仕方なく電車に乗って青梅線の中で駅弁を食べる。氷川からバス、臨発が出る。釣り人が多い。途中1回歩かされたがザックが重いので辛かった。鴨沢で下りて歩き出したが依然として雨が降っている。たいした坂ではないのだがザックが重く苦しいのなんのって、雲取まで行けるのかどうか、七ッ石に泊っちゃおうかなんて具合だ。30分おきに休む、七ッ石の前、小屋まで7分の道標のあとが最高に苦しかった。七ッ石小屋で昼食、小さな子どもがいて親切なおじさんがいた。七ッ石のピークは捲いて石尾根と合する。ブナ坂という道標が立っているがガスが濃くて、どこを歩いているのかよく分らない。何とか言う新しい小屋があって、そこから少し行ったところから、雲取を捲いて雲取小屋に向かう。相当雪が残っている。雪が降ってもいる。5時ごろようやく小屋に入る。やっと着いたという感じ。すぐ食事の用意、メニューはシチュー、霧積の経験から飯は水を多くした。飯を食べてから食器洗い、水場の足場が凍っていて滑る。手が冷たい、洗うそばから食器についた水が凍りついた。その後少し暖まってから布団を敷く。敷布団4枚掛け布団8枚、明日が早いから早々に寝についたが、なかなか寝つかれない。平塚も同様、腰、肩、股関節と痛いところだらけだ。

4月2日
起床(5:00) 山荘発(7:10)~雲取山(7:35~7:50)~三条ダルミ(8:05)~小休(8:30~8:55)~北天ノタル(10:10)~飛龍神社(10:45~11:05)~大ダル昼食(11:30~12:40)~将監峠(13:50~14:15)~一ノ瀬分岐(16:15~16:20)~笠取小屋(17:05)

5時10分前に起きる。飯を炊き、味噌汁を作り朝食。あわただしくすまして食器洗い、またまた冷たい。パッキングして7時過ぎ小屋を出て雲取に向かう。ゆっくりしたペース、道が凍り付いていて島田は再三滑っていた。一汗かいて山頂に立つ。道標など色んなものが立ちすぎ、それに人も多い。昨日の雨もあがっていい天気になった。飛龍、和名倉、三峰、両神、三頭、七ッ石、それに南アが見えるが、そのうちガスが出てきた。写真を撮って出発、三条ダルミに向かって急降下、ところどころ凍っていてよく滑る。島田がきれいにすっころんだ、完全に宙に浮いてしまった。三条ダルミでちょっと立てる。甲州雲取小屋跡と三条の湯への道があった。しばらく稜線を歩く、霧氷がすごくきれいだ。ちょっとしたピークを捲いて明るい鞍部に出る、狼平とか言うらしい。ここで一発立て、島田が雲取の下りで転んだ時、手にとげを刺したのでここで治療した。藤原のジュースをもらう、割とうまい。この辺霧氷がことにきれいで写真に収める。ここから少し登り始め、三ッ山あたり山腹をうねうねと捲いていく。雲取への眺めがいいところだ。このあたりで野キジ、今日はとても調子がよく、疲れを感じない。似たような道を歩いて北天のタル、あまり休まず、さらに飛龍に向かう。山腹を捲いて飛龍神社。北へ向かう下りは道が凍りついていて要注意だが、それでも再三転んだ。このあたりもう一つの4人パーティーと抜きつ抜かれつ、休むたびに抜かれたり、抜き返したりとなる。大ダルで昼食、島田の固形燃料でスープを沸かす、少々薄めだが美味い。昼食後も同じような林道が続き、時々沢に出合う。4人組を抜いて将監峠、明るい峠の下に小屋が見える。ここで休んでまたキジ打ち、みかんの缶詰を食べる。このあたりは午王院平と言うらしい。ちょっと登ってそのまま平坦な道、いよいよ林道らしくなる。原生林の中うねうねと道が続く。平塚がばててピッチが遅れだす。雪が降りだしてくる、相当たくさん降ってきた。あと35分の道標から1時間近くたっても小屋が見えない。あたりは暗くなって、なんだか心細くなる。5時過ぎやっと笠取小屋に着いた。雲取とは比べものにならないくらい小さい小屋だが気のいい小屋番のおじさんがいた。雪がしんしんと降る中、夕飯の支度に水場に行く。この時すでに氷点下6度、おじさんの話では氷点下15度までは下がるだろうと言う。甲武信から来たという人、これから甲武信に行く人などの中で、こちらはキャラシューでシュラフもなしとて少々肩身が狭い思い。夕食は炊き込みご飯、飯が早く出来すぎて野菜が生、ニンジンなどガリガリだったが、生で食うやつもいるんだからとそのまま食べた。寒くて食器を洗う気もしないので。そのまま、毛布5枚借りて自分達のを1枚ずつ出して、あるもの全部着こんでザックに足をつっこんで寝る。つめて敷いたのできつい、島田が上に乗ってきて重くて痛い、それに足の小指が妙に痛いが動くことも出来ないのでそのまま我慢して寝てしまった。

4月3日
起床(5:10) 小屋発(8:00)~雁峠(8:30~8:45)~広瀬(12:30~13:40)~天科(15:00~15:50)=塩山(17:05~18:02)=新宿(21:05)

3時ごろ1回目が醒めた。もう起き出している人がいる、縦走の人たちだろう。こちらは5時起床、平塚が寒かったと言っていた。飯を作るのがおっくうなのでパンにする。ところで今日どこへ行くかで迷う。大菩薩までは行けそうもないし、と言ってこのまま帰るのは面白くないので川浦か徳和で泊ろうかと思ったが、結局帰ることにする。島田がキジを打った時昨日のニンジンがそのまま出てきたと言っていた。まず雁峠に向かう、ちょっと道を間違えて武州側に出てしまったが、そのまま峠に着いた。ここで一発立てる、雪の原に道標が立っている。しばらく行って甲州側に急降下、沢に沿って下りる。途中で滑ってひっくり返ったときに手のひらに太いとげを刺してしまった。針でとげを抜くと、赤黒い血がどくっと出る。ちり紙で押さえて河原まで下りて手当てをした。その先しばらく行くと今度は藤原が滑って前に痛めた足をまたやってしまった。一休みしたが藤原は普通に歩けなくなってしまった。ゆっくりしたペースで歩き出すが普通の3倍近くかかる。これではもう1泊しなければならないかと思われたほど、そのうち雪も降りだしてきて、こりゃあ遭難だよ、などと冗談も出る始末。ゆっくり歩いていると却って疲れるようだ、足のかかとが痛くなるし、肩は痛いし、どうもいけない。それでもようやく広瀬に着いて、通りかかった子どもが家で休んでいいと言うのでやっかいになる。囲炉裏を囲んで暖まる。親切な家でお茶やお茶請けを出してくれる。こちらもクラッカーなどを出して分ける。ちょうどお昼だったのでパンを出して食べた。この暖かい人たちとの出会いはまったく思いがけないことで、本当に嬉しかった。この山行の有終の美を飾るにふさわしい。鈴木さんという家で、帰り際に記念撮影して広瀬を後にした。広瀬から天科までトラック道、笛吹川の左岸を行く。天科からバス、15時50分発、塩山に着いたのが遅れて列車を1本逃した。汽車は込んでいて最初1人ずつしか座れなかったが、そのうち4人、一つのボックスに座れたので新宿まで話がはずみ、笑い通しだった。この山行で山靴とシュラフが欲しくなった。山らしい山だった、重い荷を背負う練習が必要だ、今回は5貫ほどだったろうか。