tsu-tusac’s blog

山とスキーの記録

1960 05 丹沢主脈縦走

丹沢主脈縦走

1960年5月

参加者      単独
5月3日
新宿発(5:50)=八王子(6:45~6:56)=橋本(7:12~7:15)=中野(7:45~7:50)=鳥屋(8:20)~柏原ノ頭(9:17~9:30)~青野原分岐(9:48~9:55)~焼山(11:27~12:30)~キビガラ下(13:07~13:15)~八丁坂(13:35~13:45)~姫次(14:08~15:00)~原小屋山荘(15:10)

おふくろに間違えて1時間早く起こされたが、気づかずに出かけてしまった。どっちもどっちだ。国電で八王子まで、荷物はいやに大きい。立川でほとんど下りて後は釣りの客ぐらい。横浜線の橋本で下りると1番バスに間に合った。中野で乗り換えて30分、鳥屋で下りて歩き出す。焼山方面に行くのは他にもう1人大学生ぐらいの人がいた。平戸の辺りまで来て紛らわしい分岐点で少し迷う。暑いのでついでにちょっと休んでセーターを脱ぎ、スカーフもとる。結局真っ直ぐの道を行くと、しばらくして道標があった。調子よく歩くが暑いことこの上なし、シャツの袖をまくりあげる。正面に蛭が大きく見える。長野越路を過ぎるあたりから下山者に出会うようになる。コンチワをかわして行き過ぎる。山靴が多かったけど、中にはバッシュー、運動靴もいた。縦走路に合してから焼山まで戻る。焼山の山頂はあまりたいしたことはない。期待ほど展望はなかったし、空き缶や屑で汚れていた。それに人が多すぎる。それでも頂きの片隅に店を広げて昼食、食後ひと眠り、陽射しが強いので顔を焼こうかと思ったがまぶしすぎた。1時間ほどして出発、今日は原小屋泊りだから、ゆっくり行こうと思っても、やっぱり予定のタイムに遅れまいとピッチが上がってしまう。キビガラを捲いて水場への分岐を見送り、姫次の八丁坂にかかる。勾配は余りないが長く続くので苦しい、それに暑いのでのどがかわく。草いきれでますますひどいが、たまたま沢を登ってきた風に吹かれると生き返る心地がする。どうも余り調子がよくないようだ。姫次はなだらかな高原状の斜面に小笹が生えた気持ちの良いところで、蛭、檜洞丸が一望、大群山も大きな丸い頂を見せている。ここからは原小屋も見えるのでゆっくり休む。ひと眠りして空を見上げると少々雲が出てきたようだ。でも明日いっぱいぐらいは持ちそうだ、それに少しぐらい涼しい方がいい。原小屋山荘は縦走路に面した感じのいい小屋だ。水場が少々遠いきらいはあるが静かでいい。2階に上がって休む。大倉から来たという愉快な人と一緒になった、18歳ということで話が合った。早く着きすぎたのでヒマでしょうがない、昨日の日記でも書いて時間をつぶす。飯は小屋で炊いてくれる、飯を食って2時間ほどして寝る。ふとんは2人に1枚だが、その愉快な人が「おれはかしわがいい」と言ったのでこちらは1人でゆうゆう、8時ごろ就寝。

5月4日
起床(4:50) 山荘発(7:07)~小御岳平(7:50~8:00)~蛭ヶ岳(8:10~8:30)~不動ノ峰(9:00~9:11)~丹沢山(9:35~10:30)~塔ノ岳(11:05~12:30)~鍋割山(13:09~13:25)~後沢乗越(13:50~14:05)~ミズヒ沢河原(14::15~14:22)~二股小屋(14:42)~渋沢(17:15~17:23)=新宿(18:28)

朝4時半に目が醒める。布団の中で暖まっていたがしばらくして起きて顔を洗いに行く。冷たくて気持ちがいい。ウグイスがしきりに鳴いている。水場のそばで4~5人がキャンプしていた。飯を食って飯盒を洗いに水場に行く途中、キャラシューがキャラシューにひっかかってひっくり返ってしまった。7時過ぎ出発、2日目は好調のジンクス通り、一気に小御岳平まで、両側の沢から吹き上げる風が気持ち良い。蛭までかっきり10分、臼岳方面のガレがすごい、玄倉の谷が良く見える。蛭の頂上は広いがやはり人が多い、しかし展望は一番良かった。姫次、大群、加入道、桧洞、塔、丹沢と丹沢の峰々が一望出来る。まだ朝早いので休まずに出る。急坂を一気に下ると鬼ヶ岩とおぼしきやせた鞍部からの登りにかかる。小笹なので眺めがいい。不動ノ峰は静かな頂きでここからの下りがまた気持ちがいいところ、刈安と言うのだろうか小笹の斜面が伸び伸びしていて寝転びたくなる。丹沢の登りは急でつるべ落としと言われているが、今日は好調なので苦もなく山頂に立つ。ここでみかんの缶詰を開ける、いつ食べてもうまい。御料局の測量のやぐらが残っている。頑丈に出来ているので上によじ登って四囲の眺めをものにした。山頂の原っぱでひと眠りして塔に向かう、深山山荘のおやじさんが勧めるので鍋割に予定変更した。竜が馬場もなだらかな小笹の原で気持ちがいい、塔まで来ると見覚えのある山々が見える。表尾根、大山、大倉尾根、風が強いので尊仏山荘に避難して昼食、お茶がうまい。1時間昼寝、キャラシューを締めなおして出発、金冷しの頭で鍋割山稜の方へ別れる。玄倉の谷が眼下に見え、主脈の山々も一望、あれを越えてきたのかと感慨。鍋割を下る人は少ない、鍋割山で一発、鍋割峠への道が分岐している。四十八瀬川の勘七・本谷・ミズヒの沢がよく見える。ここから後沢乗越までは急降下、完全に走ってしまった。後沢乗越は別名金冷し、今日は金冷しを2度通ることになるが、その名の通り右側はすっぱり切れていて道幅は1尺ばかり、一歩誤れば寄沢へ転落してしまう。ここで寄沢へ入ったまま戻らないという人を探しに来ている人たちに会ったが何となくいい気持ちがしない。乗越から沢に沿って下り、ミズヒの沢の河原でひと休み、頭を洗ってさっぱりした。二股小屋を過ぎトラック道を歩く。ここまで来て方が痛くなりだした。新緑が目に映える、特に柏の葉がきれいだった。ゆっくり山を顧みながら畑の中を渋沢まで、まずは何事もなくいい山行だった。