tsu-tusac’s blog

山とスキーの記録

1959 10 草軽電鉄と鼻曲山

    草軽電鉄と鼻曲山
1959年10月

参加者      狩谷 求   藤原 肇   伊東 毅

10月1日
上野発5:50の一番列車に乗り込み、軽井沢で下車。すぐ草軽の駅に行く。草軽の電車は期待通りのボロ電車だった。トロッコほどの軌道、客車1両、都電の2分の1の大きさ、木造、ひどく楽しい、情趣あふれる代物だった。車中浅間は一度見えただけ、それっきり後はまったく姿を現さず。紅葉はまだ早い、ウルシが赤くなっているくらい。国境平で下車、時間に余裕があるので浅間牧場に向かう。牧場入口付近で昼食、牛、馬は1頭もいない、見に行くだけ歩く気もしないので引き返す。また国境平に戻り、鼻曲に向かう。少し野原と林の境の道を歩き、登りにかかる。予想外に苦しい、初めのピークへのノボリが一番辛かった。胸突きの急坂を一度休んで登りきる。この頃から霧が深くなる。少し平坦、そして頂上への最後の登り、このころはもうガスでまるっきり視界が効かない、頂上が分らない。登ってみてやっとそれと分ったぐらい。もちろん他の峰も谷も見えない。残念である、ここからの景観は非常に良いと聞いていたが、これではどうにもならない。みかんの缶詰を一つ開けて下りにかかる。ガスのため地形、方角が分らない、地図と磁石を頼りに下り、やっと道標を見つけた時はホッとした。登り初めからその分岐点まで道標は頂上とその下の分岐点の2つしかないのだから、やや不親切だ。登り初めから2時間半ほどで霧積に着いた。渓流のほとりの1軒だけの旅館、水車が回って山宿の趣のあるいいところだ。素泊まり、少し休んで飯の準備、濃厚スープに大和煮缶詰、ご飯は少し固かったがまずこんなものか。夜は歌を歌ったり、ハーモニカを吹いたりして遊ぶ。布団は豊富だがノミがいた。寝る前に湯に入るがものすごくぬるい、風邪ひくんじゃないかと思うくらい、長湯しても温まらない感じだった。夜中、蛾が飛び回って悩まされる。

10月2日
5:30ごろ、藤原に起こされる。まだ雨が降っている。神津行きは中止かな。とにかく顔を洗い朝食の用意をする。水が冷たい、味噌汁はさつまいも、ご飯は昨日より良く炊けたがやや水が不足、お茶漬け海苔をかけてその上に湯をかけた、なかなか美味い。缶詰はサバかんと焼肉。天気予報を聞いたがよく分らない。荷物を詰め込んで出発したがまだ降っている。昨日作った小指のまめを絆創膏できりきりにまいた、こうすれば痛くない。横川に向かい、途中軽井沢の方へ下りようとしたが道が悪いので引き返し、霧積川に沿って歩いた。道は広くて良いが、ところどころ崩れている。川には時折滝がかかり、小さな沢が合流して水量を増す。なかなかの渓谷美だ。途中ダムが2つあって1つは工事中だった。小さいダムで水流の調節が目的のようだ。2時間10分で坂本、そこから舗装道路を横川へ、1時間で駅に着いた。上野までの乗車券と準急券を買って駅に入ったが汽車が来るまで時間があったのでパン2枚とそばを食べた。汽車は込んでいて席が一つしかあいてなかった。途中少し空が明るくなったので高崎で下りて神津に入ろうかと思ったが結局やめにした。17:50上野着。