tsu-tusac’s blog

山とスキーの記録

1960 03 丹沢葛葉川本谷遡行

丹沢葛葉川本谷遡行

1960年3月

参加者      島田富夫   平塚 尚    伊東 毅
3月16日
新宿発(6:35)=大秦野(7:37~7:50)=菩提(8:10)~桜沢橋(8:30~8:35)~葛葉川遡行開始(8:50)~板立ノ滝(9:20)~三ノ塔(11:15~12:10)~新大日(13:05~13:15)~塔ノ岳(13:45~14:50)~一本松跡(15:35~15:40)~水無川ゴーロ(16:15~16:40)~渋沢駅(17:35~18:01)~新宿(19:15)

初めての沢登り、割と楽しかった。滝を登るのは難しいものだ、富士形の滝は凍っていて直登出来なかった。表尾根は起伏が激しくばてたが、尊仏山荘で休んで大倉尾根は走って下りた。
費用 小田急310円、バス代20円、茶代40円、ピーナッツ50円、当日小計420円

 

1960 02 裏高尾縦走

奥高尾縦走

1960年2月

参加者      単独

2月22日

新宿発(6:30)=藤野(7:45)~県道(8:00)~陣馬山頂(9:44~10:30)~明王峠(10:55~11:00)~景信山(11:55~13:00)~小仏峠(13:17~13:30)~城山(13:43~14:00)~高尾山(14:33~14:50)~淺川(16:08)=新宿(17:20)

絶好の上天気、富士の好展望台、気持ちの良い茅戸のプロムナード、人気のない明るい尾根道、いいところだった。

費用 電車賃250円、チョコレート50円、サイダー50円、新聞10円、当日小計360円

1959 12 乾徳山

 乾徳山

1959年12月

参加者     島田富夫   平塚 尚   藤原 肇   伊東 毅
12月24日
新宿発(10:20)=塩山(13:20~13:25)=馬込(14:10)=徳和(14:30)

12月25日
起床(6:15) 徳和発(7:40)~銀昌水(8:25~8:35)~錦昌水(9:10~9:15)~ケルン上(9:50~10:00)~乾徳山(10:45~12:35)~大平頭(13:20~13:25)~道満山(13:45)~徳和(14:05~15:30)~馬込(16:05~16:14)=塩山(17:00~17:15)~新宿(19:40)

扇平にて積雪10~30cm、天候は快晴無風、頂上から南アルプス、富士とその周辺、奥多摩、奥秩父、大菩薩など。
やや物足りない、2日使う山ではないとの感想。
費用 汽車賃540円、バス代90円、トラック25円、宿泊費300円、みかん50円、新聞10円、牛乳19円、笹子餅25円、駅弁100円、切手5円、絵葉書50円、おごり8円、当日小計1222円
スケッチブックより

 

1959 10 草軽電鉄と鼻曲山

    草軽電鉄と鼻曲山
1959年10月

参加者      狩谷 求   藤原 肇   伊東 毅

10月1日
上野発5:50の一番列車に乗り込み、軽井沢で下車。すぐ草軽の駅に行く。草軽の電車は期待通りのボロ電車だった。トロッコほどの軌道、客車1両、都電の2分の1の大きさ、木造、ひどく楽しい、情趣あふれる代物だった。車中浅間は一度見えただけ、それっきり後はまったく姿を現さず。紅葉はまだ早い、ウルシが赤くなっているくらい。国境平で下車、時間に余裕があるので浅間牧場に向かう。牧場入口付近で昼食、牛、馬は1頭もいない、見に行くだけ歩く気もしないので引き返す。また国境平に戻り、鼻曲に向かう。少し野原と林の境の道を歩き、登りにかかる。予想外に苦しい、初めのピークへのノボリが一番辛かった。胸突きの急坂を一度休んで登りきる。この頃から霧が深くなる。少し平坦、そして頂上への最後の登り、このころはもうガスでまるっきり視界が効かない、頂上が分らない。登ってみてやっとそれと分ったぐらい。もちろん他の峰も谷も見えない。残念である、ここからの景観は非常に良いと聞いていたが、これではどうにもならない。みかんの缶詰を一つ開けて下りにかかる。ガスのため地形、方角が分らない、地図と磁石を頼りに下り、やっと道標を見つけた時はホッとした。登り初めからその分岐点まで道標は頂上とその下の分岐点の2つしかないのだから、やや不親切だ。登り初めから2時間半ほどで霧積に着いた。渓流のほとりの1軒だけの旅館、水車が回って山宿の趣のあるいいところだ。素泊まり、少し休んで飯の準備、濃厚スープに大和煮缶詰、ご飯は少し固かったがまずこんなものか。夜は歌を歌ったり、ハーモニカを吹いたりして遊ぶ。布団は豊富だがノミがいた。寝る前に湯に入るがものすごくぬるい、風邪ひくんじゃないかと思うくらい、長湯しても温まらない感じだった。夜中、蛾が飛び回って悩まされる。

10月2日
5:30ごろ、藤原に起こされる。まだ雨が降っている。神津行きは中止かな。とにかく顔を洗い朝食の用意をする。水が冷たい、味噌汁はさつまいも、ご飯は昨日より良く炊けたがやや水が不足、お茶漬け海苔をかけてその上に湯をかけた、なかなか美味い。缶詰はサバかんと焼肉。天気予報を聞いたがよく分らない。荷物を詰め込んで出発したがまだ降っている。昨日作った小指のまめを絆創膏できりきりにまいた、こうすれば痛くない。横川に向かい、途中軽井沢の方へ下りようとしたが道が悪いので引き返し、霧積川に沿って歩いた。道は広くて良いが、ところどころ崩れている。川には時折滝がかかり、小さな沢が合流して水量を増す。なかなかの渓谷美だ。途中ダムが2つあって1つは工事中だった。小さいダムで水流の調節が目的のようだ。2時間10分で坂本、そこから舗装道路を横川へ、1時間で駅に着いた。上野までの乗車券と準急券を買って駅に入ったが汽車が来るまで時間があったのでパン2枚とそばを食べた。汽車は込んでいて席が一つしかあいてなかった。途中少し空が明るくなったので高崎で下りて神津に入ろうかと思ったが結局やめにした。17:50上野着。

1503 乗鞍雪の集い

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VSA前で現役と

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VSA出発

 

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雪の集い 三本滝集合

 

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冷泉小屋へ

3月5日
 参加者 OB 内田、木邨、岸、伊東
     現役 土井、中山、中西、坂本、杉山、黒沢、三浦

 現役の雪上訓練と雪の集い新ルート偵察のため、2日前出発。分倍河原駅7時集合だが、1年の黒沢が来ない。1時間待ったが現れないので、土井と中山に黒沢のアパートまで見に行ってもらう。9時ごろ土井からTEL、,黒沢から連絡あり、寝坊した、これから出ます、とのこと。この時点で内田車、岸車に残りの木邨、1年4人が乗って先発、食料買い出しを頼む。土井らは9時40分ごろ戻ったが、黒沢が来たのは10時半、おまけにあわてて出たのでスキー板を忘れてきた。スキー訓練に行くのに板を忘れてはどうにもならないが、これ以上遅れるわけにはいかないので、伊東車に土井、中山、黒沢が乗ってともかく出発、中央道をいつもより20キロほど飛ばして追いかける。松本ICまで直行、新島々駅八ヶ岳からズレの三浦を拾い、集合場所のそばや徳兵衛には先発組より早く12時半ごろ着いた。昼食後乗鞍に向かうが、今度は稲核の手前、明ヶ平洞門付近で大型トラックが横転、通行止めに。警察官が開通のメドは立たないので木祖村境峠を回れと言うが、それでは2時間以上余計にかかり、今日中にVSA に入るのは無理になる。どっちにしろ駄目なら鈴蘭高原泊まり、ということで、そのまま待っていたら10分ほどで車が動きだし、開通。いろいろトラブルあったが、なんとか鈴蘭着、鍵を受け取り、荷物を積み替えて休暇村着は3時過ぎ。伊東、木邨はリフトで三本滝に上がり、VSAツアーの直行ルート確認へ、他の9人は林道経由でVSAへ。今年は雪が多いが2月に雨が降ったとかで、ブレーカブル・クラスト、極めて滑りにくい。直行ルートは急な下りがないから、まあ大丈夫だろう。VSAには現役たちが先に着いており、入口の除雪作業中だった。水穴掘りも始まったところだが、果たして水を掘り当てられるかどうか。入口が開いたので中に入り、窓を開け、台所も開け、ストーブを点ける。水は結局出なかったので雪を融かして調理、夕食は寄せ鍋だった。アルコールもいっぱい、鍋もいっぱいだったが若者が多いのであらかた片付いた。

3月6日 
 かもしかリフト上(10:00)~小大野川(12:20)~バス道(12:40)~位ヶ原山荘(14:00)
 参加者 木邨、伊東

 現役たちは雪上訓練、我々が昨日つけたトレールを三本滝へ向かう。木邨、伊東は位ヶ原へのトラバースルート探索、8時過ぎ出発、休暇村からリフトでかもしかゲレンデトップ、シールをつけて林間に入る。GPSで確認しながら、ゆるゆる登るようにルートをとり、ところどころ赤テープを付けて行く。天気が良いのはありがたいがやや暑い、ブレーカブル雪のラッセルもあり、結構時間がかかった。問題となる小大野川の横断はぴったり一番傾斜のゆるい地点に出て、そのまま対岸のバス道まで、思ったより簡単に上がれた。ここまで2ピッチ半、ロートル2人はバテバテ、あわよくば鶴が沢の偵察もと思ったが、冷泉から位の小屋まで上がるので精いっぱい、今日は終了。六辻さんの歓迎を受け、こたつに入って一杯、これが楽しみ。夕食は鹿鍋だった。

3月7日
 位ヶ原山荘(7:15)~小大野川(7:55)~かもしかゲレンデ(9:15)~休暇村(9:35)
 三本滝集合(13:00)~VSA(13:40)
位ヶ原下り 木邨、伊東
VSAスキー隊 織方、村田、内田、高井夫妻、矢崎夫妻、木邨、久村、伊東

 予報では天気が崩れるということだったが、さして悪くない。昨日と同じルートを下る。小大野川の先で登り返しのトレールから外れて、水平に行こうとしたが失敗、またゲレンデ間近で下り気味のルートを探したが、これも失敗。どうも、登って来たルートを辿るのがいいみたいだが、ところどころ登り返しがあるのが問題だ。ゲレンデに着いて、木邨は現役のスキー講習へ、伊東は休暇村から一旦鈴蘭に下りる。ぼつぼつ雪の集い参加のOBがやってくる。敬君と部屋割りなど確認、スノーシュー手配を終えたフジクニと再び三本滝へ。あわただしく昼飯のカレーを掻きこみ、いつもの場所にTUSAC旗を張る。やがてみんな集まり、OBら20人に現役8人、合わせて28人で記念撮影。現役とOB一部はゲレンデに残り、スキー隊10人、スノーシュー隊5人がVSAツアーに出発。気温が上がって雪がゆるみ、ブレーカブルがなくなって滑りやすくなったこともあり、みんな順調にVSA到着。神島さん、伊達さんのスノーシュー別働隊も合流、接待役の稲垣が作ってくれたポタージュスープに舌鼓を打った。これで一応解散、あとはそれぞれ休暇村方面へ。
 宴会にはOBら25人、現役8人の33人参加、朝倉さんの乾杯、織方さんの長老あいさつに始まり、幹事長の大谷が不在ながら、いつものように和気藹藹のうちに進行、最後の思誠寮寮歌には現役含め20人近くが肩を組んで高唱、稲垣のエールで締めくくった。
その後の二次会は3階の白樺の部屋があてられ、こちらも現役も含め10人以上が遅くまで飲み、語った。

3月8日
冷泉ツアー 参加者 高井夫妻、矢崎、木邨、伊東
鈴蘭小屋(8:15)~かもしかリフト上(9:20~9:35)~バス道(11:15)~冷泉小屋(11:45~12:30)~鳥居尾根ゲレンデトップ(13:20)

 矢崎むつみさんがぎっくり腰のおそれがあると参加取りやめたので全部で5人、新ルートのかもしか~冷泉~位ヶ原ツアーへ。夜のうち雪が降って新雪が5cm、濃いガスで、特にかもしかリフトは10分余り運転を見合わすほどで、ゲレンデで滑るのも危険なほどだった。新雪の中に一昨日のトレールが残っているので、その通りに進み、2ピッチでバス道、帰りのバスの時間があるので位ヶ原まで登るのはやめて、冷泉で昼を食べて帰ることにする。また登って来たトラバースルートは登り返しもあり面白くなさそうだということで、黒い沢から鳥居尾根を下ろうということになった。下の方はガスだが上は晴れて日もさしており、冷泉小屋の脇で暖かなランチを楽しむ。新雪が乗ったおかげで雪はよく、黒い沢の林間、鳥居尾根の凸凹の多い下りも、まずまず快適に滑れた。鳥居尾根ゲレンデトップに出て解散、高井さん夫妻と矢崎さんはもう少しゲレンデを滑り、木邨、伊東はそのまま鈴蘭小屋に帰った。帰るOBたちを見送り、遅くなったが頂上アタックの椿谷、岸、久村、現役のパーティーも帰着、岸車、椿谷車、稲垣車に定員いっぱい乗って帰るのを見送ると、あとは内田、高井夫妻、伊東の4人。もう一晩鈴蘭に泊まって明日、ゆっくり帰ることに。

3月9日

内田車、高井車、伊東車、3台の車に4人、車内空間がもったいないが、それぞれのペースで安全運転、無事帰京した。
去年から準備を重ねてきた幹事長の大谷が直前で参加出来なくなり、どうなることかと思ったが、41年同期、OBみなさんの協力で滞りなく諸行事を終えることが出来てホッとした。年々齢をとってツアーのガイドもしんどくなってきたが、後継がいないのが問題だ。早くスキーの好きな若手が出てきてくれないものかと思う。

1501北八ヶ岳山スキー

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北横岳

 

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縞枯山

 

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南八ヶ岳

 

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雨池

 

参加者:伊東OB(L)、金山(3年)、中山(1年)三浦(1年)

行動概要
1月10日 晴れ
6:45分倍河原~9:30ピラタススノーリゾート着~9:55山頂駅~10:30設営場所着~11:30出発~14:00撤収開始~15:30帰幕~16:00夕食~17:00就寝
1月11日 曇りときどき雪
5:00起床~5:30朝食~7:00出発~7:30縞枯山荘~8:00雨池峠分岐~8:45雨池~10:45麦草峠(昼食)~11:20出発~11:50メルヘン街道と五辻方面の分岐~12:20出逢ノ辻~12:50五辻~14:00山頂駅~14:20帰幕~15:00撤収~15:25ピラタススノーリゾート

1月10日
金山と三浦は部室に前泊し、中山は自宅から出て分倍河原に向かい、伊東OBの車でスキー場に向かった。渋滞を避ける為早めに離京したが、その目論見通り道中渋滞に巻き込まれることなくたどり着いた。
スキー場最上部まではロープウェイで向かった。片道1000円。100人乗りということで大きなロープウェイであったが、この日はほとんど満員乗車で盛況であった。
山頂駅からは、坪庭に向かう一般周遊道を離れ、隣の尾根を登る。10分ほど登ったところで、荷物を置き幕営適地を探す。風の当たらず人目に付かないという条件であったが、ほどなく見つかり設営を行った。風が吹いていたので天幕内で昼食をとった。
横岳に向かうルートは坪庭を経由する一般ルートだとスキーの上りがしんどいという伊東OBの経験から、隣の尾根から回り込むように登るルートを進むことにした。しかし、木が密集していたため思うように進まず、結局2時間ほど登って尾根の上部に出たところで撤収を決定した。
帰路は、谷を下ることを試みたが、出発直後に伊東OBと金山が立ち木付近でスキーごと潜り込んでしまい、雪の状態が悪いことが分かったため、往路と同様の道を通り帰幕した。
夕食はカレー。8人前を用い非常に効用が高かった。

1月11日
 昨日と同様サブザック行動。よく使われるスキーコースなので昨日と打って変わり快調に進む。縞枯山荘到達後にシールを外した。現役3名は慣れないながらもなんとか進んでいたが、雨池峠付近から雨池峠分岐までの下りは木が密集しており非常に苦戦した。
 分岐到達後は雨池を回って麦草峠に向かう予定であったが、先頭の金山が西岸に向かう分岐を通り過ぎてしまったため、追いついた伊東OBの指示の元、林を突っ切り雨池に向かった。木は密集していなかったものの、トレースがなくGPSの助けなしには迷うことは避けられなかっただろう。雨池はまさに雪原といった趣で、他に山行者がいなかったこともあって、大きな開放感を感じることができた。
 雨池南岸分岐路以降は再びシールを装着して進んだのであったが、前日にシールを張り付けたままスキーを置いたせいで、シールが凍っており伊東OBと金山の右スキーのシールの粘着力が殆どなくなってしまった。両者ともテープ補修を行ったが(金山のテープは途中で切れたため伊東OBのものを用いた)、特に金山のシールはほぼ30分おきくらいに外れてしまい、以降ペースが遅くなってしまう。
 麦草峠付近で昼食をとりメルヘン街道に出る。メルヘン街道から山頂駅方面に分岐する道は二つあるが、今回はトレースのついているより下側の道を用いた。
 だましだまし進んでいた金山だが、五辻を越え、展望台を通過したあたりで、左スキーのシールも剥がれてしまったため、一人担いで天幕に向かった。
 その他大きなアクシデントはなく、帰幕した。
 帰りはゲレンデを滑った。一年生二人も殆ど転ぶことなく滑りきり、鹿沢での練習の成果を感じた。

(記録者 3年金山)

1501 百蔵山

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1501 百蔵山

参加者  伊東 毅

1月29日 晴れ
 下和田登山口(10:50)~尾根休憩所(11:30~11:40)~百蔵山(12:00~12:25)~登山口(13:00)
 
 山靴新調、AKUの3シーズン用、履き慣らしのハイキング。9時過ぎに自宅を出て談合坂で助六寿司を買って、大月ICから下和田の登山口へ。数台分の駐車スペースがあるが、1台も停まっていなかった。杉林の中のジグザグ道から小さな尾根にでたところにベンチがあり、大月の街と富士山の展望が開ける。そこから暫くで西からの稜線に合流、東へ少し登って頂上、正味1時間だった。頂上は南側が開けていて富士山が正面、丹沢や道志の山もよく見える。丁度昼で太陽が正面に来るので富士山は逆光、写真になりにくい。先客が1人いたが、間もなく下りていったので、陽だまりで昼飯、助六寿司とお茶。気温は低く、頂上の北側には雪がまだらに残っていた。下りは30分、靴の調子はまあまあかな、登りでかかとがずれるのが気になる。足首のあたるところに何かクッションをつけたらどうかと思うが。